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「さとり・悟り」について

このコラムは「さとり・悟り」について正解を書いているわけではありません。私が考え、心がけた体験記を書いていきます。(この記事を書く前にはこちらのコラムに簡易的にまとめていました。

そもそもの私の体験

年若く救いを求めた私の知識範囲の中には「教え」や「悟り」がありました。神童ならいざ知らず、子供であり悲しいほどの凡夫だった私はこれらを「全ての責任は己にあり」というこの言葉の意味を大きく外してはいないけれど真理もわかっていないために 過剰な自責思考へと成長していきました。

「生育環境」の影響もあるのですが、「生きているとは苦しい。なんとか楽になりたい。」「そうだ!悟りをひらけば何を見聞きしても体験しても平気に違いない。辛くないに違いない。」という短絡的な思考が発端でした。

悟りとはなんだ? をふっとばして、楽になりたいという気持ちから「修行をしたら楽になれるのだろう」と思い、なんでも引き受ける、我慢する、感情は殺す、自分が受けた理不尽も己の責任だと受け止めるという偏った思考になり、その結果、心が容量オーバーとなりました。修行思想を持っている方は多いのですが、多くは自己流だったりします。良いとか悪いとかではなく、これはこれで弊害を生むことがあります。それは私が体験したことでもありました。

ある程度真面目で、一生懸命だったとはいえ、向かう方向はそっちじゃ無かった。完全に間違えていました。

 

教えも悟りもそれを求める自分も成長していくことが好ましいのですが、自分という入れ物に許容量以上のものを詰め込んだ結果、体がダウンしました。そしてそれに関連して心も弱りました。

 

善人かどうかはともかく、良い人であろうとしていたことは確かでしょう。

 

宗教と心理学 のち、心理学

それに加えて、子供の頃から人間の本音と建前に興味があったので、心理学も書籍を読み漁り、私は「自分なりの信仰」と「心理学」「現実に起きている事」を蓄積していきました。

後になって気がつくのですが、参考にしている「教え」も東洋も西洋もごちゃまぜで、自己流に良いとこ取りをしているので、それぞれの「教え」の本質もわかっていない。すると矛盾が起きてきます。当たり前です。

(「宗教と心理学」についてはこのブログに書きました。このホームページのコラムにも書き直して公開しています。タイトルは「仏教と心理学」になっています。)

 

それでも根本的なところには気がつかないままに「楽になるはずの理想の自分」を目指して努力をしていました。しかし、せっせと積み上げた積み木はある日ガラガラと音を立てて崩壊したんです。

一生懸命にやってきたのにダメなんだ。意味をなさないんだ。と本当に落ち込みました。今までの私の人生や我慢や努力は一体何だったんだ。とまったくイヤになりました。

しかし、自分が生きづらい事を解消したいのに、生きづらい考え方と行動を止められないからこそ自ら招いた深い落ち込みでした。だからもうこれ以上それを続けられなくなるような落ち込みを体験して結果は良かったです。

やり方も、考え方も間違っていたと認めるのは少々つらい。自分の思っていた「良かれ」が違っていたと認めるのは勇気もいります。しかし、そうするしか「等身大の自分」を確認する方法がありませんでした。

1つずつ、自分についていた嘘を見つめ、それをやめるように行動を変えていく。自分ではない理想の何かになりたいと思っていた想いをいったん完全にやめる。そして自分の思考やサイズの総点検や行動変容に取り組み始めました。

等身大の自分なんて嫌だったはずなのに、結局生き易さを感じたのは等身大の自分でいるようにし始めた時からでした。

理想の鋳型に自分をはめることではなく、理想の鋳型にはまろうとして「本来の自分ではダメなんだ」と思い続けてきた否定感を見直す作業をはじめました。

この時にとても役に経ったのは「心理学」に基づいた対処方法でした。そして、心理学の対処方法を取り入れて、コツコツと自分のアンバランスを調整するようになりました。それは今私がご提供している多くの心体カウンセリング手法を受けたり、自分でやったりした「心体を労わるという手当」でした。

この時には、悟りを目指しても悪化していった自分の体験から、もう悟りは止めた。とやめていました。だからと言って倫理観や道徳やよそ様との関わりを止めたわけではありません。自分で創り上げた「修行」を止めてみることにしたんです。

これは結果的に良かった。「自己流修行」と「心理学」2つを同時進行は、私の脳内で融合できなかったはずです。心理学も系統によって言う事が違うように、それに特定もしていない宗教の教えを網羅して融合するのは私には無理ですから。

深い落ち込みからの回復期には、私は心理学を採用しつつ、自分を丁寧に点検していくことがとても有効でした。それに加えて、思考だけではない、体からのアプローチが加わったことで、心の軽さも体の軽さも飛躍的に伸びました。

初めて連続したキネシオロジーセッションを受け始めたある日、「私の体重って今5kg?」と思えるほど体が軽く、重力のない宇宙飛行士はこの位体が軽いの?というほど足に重さを感じなかった時に、「心と体の双方向からのストレスへのアプローチ」がどんなに人間に適しているのか?ということを実感しました。

そして、どんどんストレスケアを続けていくうちに、自然に私がその昔目指していた「生き易さ」を得ていました。

 

悟りという言葉や、修行という言葉、それらの本当の理解でない自己流の解釈と行動は私には結局遠回りでした。

確かに、苦しい時期にした私の脳内体験を「悟りの時はこんな感じ」と書いているブログなども拝見したことがありますが、そのブログの方もその方の自己理解のブログ。参考にはなりますが、それを読むだけで「あぁ 私のアレは悟りだったんだ」とするには【オピニオンかファクトか】的な考え方をするときには注意が必要だと思っています。

 

そして再び 仏教に触れてみた

月日がただ流れただけではなく、その経過と共に成長したようです。

仏教的思考の自己解釈 それこそバイアス(無智)に少しずつ気がつくようになりました。そしてある日、これらの悟りや教えにからは離れ、身体心理学を利用した心の養生に努めるという変化を遂げたことがやっぱり私には正解だったと思っています。

 

そして月日が流れ、再び私の前に仏教に関する書籍が現れました。

久々に腰を据えて仏教に関する書籍を読みましたらば自分で考え、答えを出していたことなどが本文に書いてあったりして、いろいろ遠回りしないと気がつけなかったことが「まぁ まぁ 悪くないな」などと思えたんですね。「あ! 書いていることが解るぞ!」と悦に入った次の瞬間、次の書籍を読み自分の愚かさを真正面から見ることになりました。(汗)

 

 「欲ばらないこと」

欲ばらないこと (役立つ初期仏教法話〈13〉)

 

悦に入った自分が恥ずかしかったですね。愚かさを反省しました。

 

しかし、この当時自分の中で答えを出しあぐねていることがあったのですが、(ある私の人生のパターンについてどのように受け止めて、理解して、どのような方針でいくのか? 関わり方はどうするのか? というようなことです)

そんなことも仏教的な解釈が書いてあり、「なるほど」と思った次第です。

バカの理由(わけ) (役立つ初期仏教法話12)

このシリーズの本を読むと、過去の私がいかに自己解釈だったのか? がよくわかるし、心理学とは言ってることが違うから、あの昔心理学だけに一度絞ってよかったと思うし、じゃあ今からこの久しぶりに続々と登場しているこれらをどう捉えていくのか? をまた整理する時期が来たと思っています。

 

書籍の読む限りでは仏教の考え方とは異なりますが

深く影響を受けつつも、でも自分の価値観とは違う。やりたい事とも違う。という他人の意見と自分の意見の相違や、「自分」「等身大の自分」という事を見つめてきましたら、不思議と 悟り のような段階へ近づいているような感じがしました。書籍を読んでいると、修行思想を手放しちゃいかん。と思っていた頃よりも、今の方が余程 あの昔求めていたものに近づいていました。

しかし、これは仏教でいう 悟り とは違うんでしょうね。

 

それでも悟りたいか?

私は特定の宗教を薦めていません。今回は仏教関連の書籍を読み、その中に 悟り という言葉が出てきたので、私の考え方の変遷や体験を書いてきました。

 

2017年1月末の今は、

私の体験記を読んでも、それでも自己流でやりたい方はやるだろうし、

既に何かの信仰をされている方は 心理学的な、身体学的な対処方法も加えてみようかと思うかもしれないし

悟るとは何か? と一層迷宮に入る方もいるのかもしれませんが、悟りたければ、それに向かって努力したら良いと思います。ちなみに私の読んだ書籍には「努力なくして悟れない」と書いてあったので、

「頑張らなく良いんだ」なんていう言葉も、「決めなくて、気分的にその時の流れで」なんてことも通用しないようです。

 

ただ、この書籍の中では「仏教の教えは時代と共に変わってはいけない。教えをそのままに後世へ伝えていく」とありました。それが(時代の変遷によって影響されないということが)良き事ということでした。また、他にも宗教は多くあります。流派もあります。そういった事を考え出して思考がまとまらない時は、ストレスケアを併用してください。

思考の暴走による疲労のケアにもなります。

 

私が体験上書けることは、心体のケア、心体カウンセリング™・心体セラピーは過剰に生きづらくさせている時にはそれを緩和してくれた。ということです。それは「悟り」の道とは異なるでしょうが、考えがまとまってきて、押し殺していただけで感情は強く動いていましたがそれも安定してきて、等身大の自分が認めやすくなりました。

余計に抱え込んでいるものをシンプルに戻すきっかけになるという事でした。

本当に、これだけでも儲けもの。

 

感じてきたから、生きてきた実感がある。

これじゃあ生きている気がしない。ということを感じた過去の日々もあったけれど、それも変わり、「生きてるだけでいい。幸せ。」というような感覚が生きているうちにわいてきただけでもありがたいことだと思いましたよ。

 

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