これまでに3つの記事をシリーズとして書いてきました

1つ目のコラム

発達障害と呼ばれる「脳のクセ」の現れ方について

2つ目のコラム

発達障害の当事者の研究書籍を読んで

3つ目のコラム

自閉と健常はなだらかなクレーゾーン

今日はこの続きで、4話目を書いていきます。

繰り返し書きますが、これらは「脳のクセ」というスタンスで書いていきます

そもそも私自身が、自分の脳の傾向に詳細は理解できていないものの、自閉的な要素があるのではないか?と見立てたということを書きました。

それは、一見他からはわかりづらい箇所だということも自分を俯瞰していて思っていました。やっぱり感覚的な事に感して。自分の感覚の中にいろいろな傾向があり、ある時はアスペルガー、ある時は自閉というようなエッセンスが含まれている。

それは私に限らず、ほとんどの方が有していて、おそらくエッセンスは皆有していて、その表出の度数・具合と、年齢や、傾向ということで「健常という範囲の個性」と診断されたり、「障害というスケールに達する傾向」と診断されたりするだけだろうというのが大まかな私の意見です。

その表出の仕方によっては、苦手を他力でカバーすることが最善だというケースもあるし、環境によって統合が進むとういこともあるだろうし、加齢によって症状が進行するというタイプの脳もあるのだろうと感じています。

 

確かな診断名を得ることが、サポートを受けやすくしたり、回復につながるという事もあるでしょう。

私は心体カウンセリング™ という代替療法・心理療法を取り入れていますが、自然療法だけに固執するのも個人的には薦めないですが、代替療法を総合的に取り入れていくということがアメリカなどでは精神科医が取り入れて、臨床結果を出しているということも学びました。

併用も素晴らしい選択だと思いますし、そのバランスも個々によって適した分量というものがあるのではないだろうか?と考えています。

 

トラウマ、PTSDの治療をされているDr.の書籍を読んで。心体カウンセリング™ との共通点。

 

この中に答えの一部があるのではないか?と勢い込んだものの

タイトルで、これは私のこだわり部門を解説してくれる本ではないだろうか?と期待満面で手に取りましたが、ちょっと? 随分? 違いました。

解るんです。言い間違いを聞くと、脳内リフレインが起こるというようなことはもう全く分かるし、他にも読めば「あぁなるほど」と私なりにわかることも多いのですが、自閉も色々な現れ方をするので、「あら、これは私には無いけれど、それならまるで逆もこれも一種のこの傾向に当てはまるかもね」というような当初の期待とは全く違い、別の角度から自分の聴覚について理解が進みました。

 

そして、以前別の記事で、

「私が人生観」などという言葉をつかっても、一体それがどんな理解をしたらいいのか分からないという脳の傾向がある事を理解すると、

人生観について話題にしたところで全くそれは的はずれ。

器質性の特性に、精神論を持ち込むこと自体、トンチンカンでしかない。

と書きました。

 

それぞれの特性とニーズの理解、聞く当人が理解しやすい伝え方、サポートを必要としている方が理解しやすいサポートの仕方以外は、かえって負担をかけるということもあります。

良かれという善意は、的が外れていたら押し付けや負担にしかならない。

そのようなことになるのは、その良かれが自分目線でしかないという視野の狭さや、共感覚・想像力の欠如、相手に通用しない正義感や方法論ということになるのですが、そこに気がつくと、サポートということの奥深さを考えなきゃいけないな。と思うわけです。

 

また、非常に理解が進んだのは、


スルーできない脳―自閉は情報の便秘です

こちらの書籍にあった、「共感はするが、他者の感情に気づかない共振」「気になるのにわからない」という言葉でした。

世間で、共感覚過敏という皆様の対応策について書籍なども出ていますが、共振であって、理解ではないかもしれないといことですね。

感情のコピーのようなことは起きるけれど、人間理解という事とは別だという理解をしたのですが、これはこれで大変です。私の「思い入れのない曲の歌詞が脳壁にこびりつくのが嫌だ」ということと似ているのでしょうか?

私の場合は、「私は今その感情とは無縁だから、侵入されて (それこそ)共振したくない」という意志があるのですが、共感覚過敏の方々は境界線が曖昧だとしたら、もう勝手に揺れてしまっているのかもしれないですね。

 

自分ということを捉えにくいのだから、そういう場合に「地に足をつけよう」とか「自分軸」と言われても困りますね。

本当に脳のクセも千差万別だし、その影響され具合も様々だということの理解が進みました。

 

診断に舵を切った書籍を読んでいても、当事者の感覚というのは理解しづらいですから、ご紹介している書籍類は「当事者はいったい 何をどう感じるのか?」という方向性のものにしています。

自閉についてだったり、ADHDについて(過集中、注意力を好きなように制御できない、持続が大変。身体的には、線維筋痛症、慢性疲労症候群、むずむず脚症候群。ヤング医師の予備仮説には、過敏性大腸症候群、耳鳴り、外陰部疼痛症という症状もあるそうです)だったりと、いろいろ書かれていますからお読みになってみてください。

 

こちらの本には、以前の私の自閉傾向的感覚が多く載っていました

 
自閉症スペクトラム 青年期・成人期のサクセスガイド (Autism Retreat Japan (1))

自分の感覚とほぼ同じで、とってもよく分かる記述がある一方で、私は子供の頃とやはり脳が違うなとはっきり認識しました。

あくまで私の場合ですが、成長、加齢(本のタイトルになぞらうなら、青年期、成人期)にどうやらうまいこと統合が進んだ模様です。突出していたバラバラの脳のクセがちょうど暮らしやすいようにこなれていったんだろうという事を今回自覚できました。

それはやはり子供の頃から、心底弱った時期も、生命の危機が訪れるようなシンドイ時期も、それがシングルタスク、全画面表示にならないという脳のクセによることが大きいようです。

感情たっぷりな女性は解りやすくて可愛げがある。冷静な女性は何を考えているのかわからないから可愛げが無い。というような受け止められ方をして逆風も吹きっぱなし(笑)対応も、可愛がられるどころか、目の仇のような塩対応をされることもあったのですが、今となっては、そんな脳のクセのおかげで非常に暮らしやすくなりました。

可愛げが無いといって、初対面でも失礼なほど塩対応する方がいるかと思えば、「いや、あいつはいい奴なんだよ」と可愛がってくださる方もいて、捨てる神あれば拾う神ありですよ。有り難いことです。

人生短距離走ではなくて、長距離走ですからね。

結構な逆風も、いつかやむときがあります。また別の逆風も吹き始めたりしますが、それもいつかはやむでしょう。(^^)

 

また、以前もどこかに書いたのですが、子供の頃から「いつかホンモノになりたい」と自分でもその詳細がわからない金字塔をたてていましたので、これでしなくてもいい苦労もしましたが、人生のとらえ方というようなことは自分で考える習慣がありました。

アスペルガー、ADHD、自閉という要素を脳内にたっぷりと装備して生まれてきたと思うのですが、ただ、「いつかホンモノになりたい」と自分でもその詳細がわからない金字塔を持ち続けたことが、脳の修正や統合や、やりくりの仕方や練習、厳しいことを言われてもまず聞く、好き嫌い以上にその人の言っていることに耳を傾ける、感情との付き合いかた、自分と向き合うということを推し進めたのかもしれないですが、これはあくまでも推量ですし、精神論です。後付けというやつです。

理由なんてなくて、もともと自己修正が効きやすい脳のクセだったのかもしれません。

 

このような理解を進めた私の自閉的傾向が理解できる点を書いていきます。

CDとコンサート

CDやデータ音源は天才アーティストが一発本番で録音しようが、元歌が無くなるほどに修正されようが、再生したら一定です。

私の耳はこの音源に慣れるわけです。

ですから、コンサートに行っても「CDと違う」ことが気になる。アーティストに熱狂しないものですから、音が違うと私の感じていたワクワクとは違うことになるんですよね。ですから、コンサートに興味がない。違うな~と思う為に行くことになるから。

こんなのは、対して音楽好きじゃない私の偏屈かと思っていたら、 自閉症スペクトラム 青年期・成人期のサクセスガイド (Autism Retreat Japan (1))にも同じことが書いてありました。

画像の脳内再生、反芻、繰り返し

以前より治まっていると思いますが、見た映像、目の前の風景をただビデオのように記憶していたんですよね。ですから、いつでも脳内再生ができるし、反芻できる。しかしこれは、残念ながら勉強の方ではうまく使えない(笑) 無意識の状態が良いわけです。

ですから、同じ物事・人物に関して、以前とのちょっとの違いにも気がつきやすかった(過去形)

自閉症スペクトラム 青年期・成人期のサクセスガイド (Autism Retreat Japan (1))にも同じことが書いてありました。

 

しかしですね。私の場合、お陰様でこれが暮らしやすいように進化して、神様のお知らせのようなポイントだけを記憶するような省エネタイプに成長しました。神様のお知らせのようなポイントとは何か?というと、その時はただその場に遭遇していただけなのだけど、後日その光景が大きな意味を持つシーンです。

不思議と決定的なその一瞬を、観察もしておらず、ただ目を開いていただけなのに「見てしまう。遭遇してしまう」ということがありまして、後日その光景が大きな意味をもった瞬間に「画像が再生されて、意味が理解できて、物事に直結する。」

ですから、最近はもう周りに注意を払う事を割とスパッとやめています。以前も注意を払っていたというよりもただ目の前の光景が意味があろうとなかろうと記憶されていくのですが、スイッチの切り替えが自分でも天才か?と思うほど上手になったので本当に脳の無駄が減りました。基本仕事中以外は見てないし気にしていない。聞いてない(笑)

 

私の目の前の風景をただビデオのように記憶していくという感覚について聞いた、共感覚が強い方がある日「私は見たものを全て記憶している」と急に言い出したことありました。多分こういった事はそれをやる方は当たり前にやっているので、「話を聞いたからそうなる。その能力が共感覚によって身につく」ものではないと思う。

前回の「ダスティン・ホフマン(が演じた役)のマッチ数え」を私も出来る!と言うのと似ています。

 

本当にそれをマネし出したらおそらく脳はダウンして、なんだかちょっと厄介な方向へこじれていきそうです。

私は今はその時より理解が進みましたので、「ご当人が望む人生。生き易さ」と「良き相談相手。理解者」について考えたり、「聞く耳を持ちやすい脳のクセ、聞けない脳のクセ」などについて考えるにとどまっています。

共感覚によって取り込みたいと思う物事と、取り込めない物事について自覚されるのもされないのも、なんでも体験ですものね。

おそらくそれを取り込みたい!という思いに囚われているうちは、他人には止められない。自分でしかそれはできない。

 

私自身も、自分の「こだわり」が発動すると、ある程度やりたいですからね。気持ちは分かります。

最近は「おお! こだわりが発動してるぞ! 今回はどの程度で満足するのかな?」と自分を観察してます。すると、案外早くそこから脱出できるから不思議なもんですわ。

話を聞くこと

ちなみに自閉傾向の方は、

自分にとって肯定的なものだけ受け止めて否定的なものはざるのように落としていく。右から左へと抜けていく。ー自閉症スペクトラム 青年期・成人期のサクセスガイド より抜粋

ということでしたね。

 

私は厳しいことも言われたことがありますが、それは真摯に受け止めました。

そして修正してきたつもりです。これは社会人としてということですが。

学校でアレコレ言われるよりも、私は社会に出て厳しいことを言われることの方が効きました。(笑)

 

鍛えて貰ったと感謝していますし、変な優しさで見殺しにされなくて良かった。ビシッと言ってくれる方とご縁があって良かったです。

ビジュアルシンキング

これも以前アメブロに書きました(https://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12265723639.html)が、

私は文章を書く時に、脳内にすでにある文章を書き写しているだけだと書きました。それが耳の内側に聞こえてくるから聞こえてくるものをなぞって書いているだけだ。というように表現しています。

 

自閉症スペクトラム 青年期・成人期のサクセスガイド (Autism Retreat Japan (1))にも同じことが書いてありました。この方は文章のまま見えているから、見えているものを打ち込んでいるだけだそうです。

 

まずはやってみなさい。に抵抗がある。厭だ。苦手だ。

これは私の傾向とは違うものですが、世の中に多いケースなので取り上げます。

 

「まずはやってみなさい」と言われると、抵抗を感じる方がいます。

理由は? 目的は?

正解は? ゴールは?

ということや、前もっての説明が欲しいという気持ちが湧きおこると聞きました。

 

私は、先ずはやってみて。と言われると、非常に素直にやります。 よくわからんな。と思いながらやります。

それを「私には正解を出さなきゃという不安がないせいだ」と思っていました。

 

ところが、自閉傾向ですと、これが苦痛だとのこと。

  • 何でもいいからとりあえずやりなさい。
  • 何でもいいからとりあえず書きなさい。

このような指導は、自閉という症状には苦痛でしかないし、無意味だそうです。

 

これは驚きました。無意味だということに驚きました。苦痛とか苦手、イヤダというのは推測していましたが、無意味!

 

私は実生活で「まずはやってみて」が苦手そうな方の心情を聞くこともあるし、私自身が「まずは体験してみましょう」ということもある。(体験の段取りは伝えますけれどね。)

コミュニケーションをしていて、もっと詳しく伝えないとわからないんだな。と思えばより詳しく伝えますが、やはりケースバイケースということをあらゆる点で認識しておく必要がありますね。

学校でも、職場でも、自閉傾向の方の前に立ちはばかる壁は多いのだという事と、それを理解しやすい方法に変換するサポートする側の技術について工夫が大切だという事ですね。

 

喜びすぎに注意

自閉症の方は楽しみすぎてはいけないそうです。

 

これは最初、文章を読んでいたら

  • パニックになる
  • ハイテンションの後のネガティブが強い
  • 感情のふり幅の大きな事がシンドクなる

とあったので、そのまま読みました。なるほど。と理解したつもりでした。

 

私の耳に聞こえていた文章は前の章で終わっていたのですが、ふと、この項目を追加して書こうと思った瞬間に思い出しました。

 

四半世紀前、他人様の「喜び過ぎて、飛んでしまったんだな。」と思うような出来事を見たことがありました。

それは今この解説の通りで、パニック状態でしたね。

 

話はもう通じないし、ご当人も記憶がない。喜び過ぎると後が大変だからといって、(そっちは幸せとは程遠い道じゃないかな~)と思える道を選んで行かれました。当時私も若かったものですから、見殺しにも出来ないと考えて 良かれと思って「冷静に考えて」などと余計なことを言いましたけれど、どうやらそんな会話の記憶もなかったようですね。(私の人生には、忘れるのではなく、パニック状態により記憶を失う方がちょいちょい登場します。)

おそらく自閉傾向がその方にあったのでしょうね。

アルコール依存症でもあったので、合併症というか、なんというか。

 

私には喜び過ぎてパニックになる。ということもないものですから、四半世紀前のこの方の独特の変化や、眼球を含めあちこちに現れるパニック、非常(異常)反応を見つめていました。

 

そうですね。とある時までは、良かれと思って「冷静に考えて」などと余計なことを言うことが多い(私の)人生でしたね。

それが伝わって、冷静に考えて下さった方が結局どなたもいらっしゃらないという事で、私も方向性を変えまして、見守りという姿勢に変更しました。

 

当人の人生を皆が真摯に生きている。投げやりになろうが、諦めようが、その方の真摯な生き方だと思うようになりましたので、私の「良かれ」は徐々に後退していきました。

サポートとは私の良かれではないですものね。

 

宜しければ自己理解のためにも、他者理解のためにも本を読んでみてください

最後のあたりに、「思いやり」の弊害ということにも触れられていますし、「訓練」ということについても書かれています。

決して自閉傾向だけのお話ではない内容だと思いましたので、宜しければ自己理解のためにも、他者理解のためにも本を読んでみてください。

 

 

一旦このシリーズは今回で終わりです。

いつもコラムを読んで下さいまして、誠にありがとうございます。

 

お役に立てましたら光栄です。

 

(2018/07/07)

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