心体の手当を続けた結果、現在はどうなっているのか? ご報告

先ずは私から

コラムの

そういえば悲しい体験記を書いていない。しかしシャドウ統合は率先して行った

「シャドウの統合について

この2つもそうですが、いろいろなコラムを今まで書いてきて、これからも書きますけれど

今日現在(2017年)は私の周辺はどうなったのか?を念のためご報告。

 

実はですね、「シャドウの統合について」の時に書いた私のひもじさ体験記などは、長い事忘れていました。

最近ですよ。ある日 あ! そういえば! と思い出しました。

忘れますかね? とちょっと自分が笑えたし、よく推測されそうなトラウマ封印というより、私には他の出来事の方がもっと心をえぐりましたので、そちらを心体からケアしてきました。

確かに当時食べるものが無いことに困っていたし、怒りを持っていた記憶はあります。

体の傷は忘れるけれど、心の傷は忘れない。と、有名なホラー映画の中の台詞にありましたが、ひもじさなどは忘れる類の事だったんだ! たくましい! と思ったほどでしたよ。おそらくこれまでの気付きや心体からのケアがこの件についても良い影響を及ぼしたかとも思います。

それに、忘れていたことを笑っているようなこの体験を書いて、読んだ方から「可哀想」と思われるのもちょっと違うかな?と思っていましたので、思い出しても書く機会はありませんでした。ですが、今までは書かないままで終わったであろうこの出来事を「例題としてもわかりやすい話題かな?」とあえて書いてみる。と行動パターンを変える実験になりましたね。

 

可哀想と思われたら思われたでそれでいいじゃん。ということも1つの私の変化にカウントしても良いかな。

次に両親

1.

父と母は長い戦いの歴史を終え、2017年私が想像していなかったお互いに支え合う姿があります。(2016年の時もそうだったかな。)主に母が父を支えておりますが、あら!ビックリ! 良かったんじゃないのかな。と思っています。

 

2.

コラムにも書きましたが、今の母は料理をします。調理済みのものを買ってくる時もありますが、私は大人になり、母に否が応でも料理を作って貰いたいという執着がないので、「いい歳した娘のご飯を心配しなくても良い」と心の底から言います。作ってくれていたら有り難く頂きます。無ければ自分でどうにでもします。

ところが先日帰省した時の「鶏肉の揚げ焼き」はかなりの腕前で美味しかったです。「上手い事出来てて美味しい」と伝えました。

こういった事が現実です。

 

山積みだった問題の大きな山が無くなりましたね。残っている他の事のこの先は私にはわかりません。

私自身はこれらが変化する数年前から虚無感も消え去り、「あぁ 生きてて幸せ」という感覚が湧いてきて、それを満喫していましたので、ラッキーにラッキーが重なったような感じです。

まさか想像しなかったことが現在起きていることを感謝したらそれで良いと思っています。

 

※高齢の両親は過去もカウンセリングなどは受けていません。父は疾患で治療を受けていますが最近まで働いていました。母は最近タブレットを使えるようになり生活を満喫しています。

もう随分前ですが、アルコール依存症だった友人の家族もある日ピタリとアルコールを飲むのをやめたそうです。治療を受けてもいないし、やめた理由はわからないと当時聞きましたが、長年友人は苦しんでいたので家族の変化をとても喜んでいました。非常に稀なケースだと思います。

 

 

変わったことには理由や法則があるのか?

私が変わったら両親が変わる。と思ったのは子供の頃です。ちょっと手におえない元気過ぎる時ありましたが、私が良い子でいたら変わるかも。と望みを持っていたのは子供の頃。

その後それを諦めて、もう両親もどうせ聞く耳は無いんだから、好き勝手に生きたらいいよ。と希望を捨てました。私はその後始末もフォローも引き受けるのは止める。と決めました。

両親も毎年歳を重ねていって、もう変わらない。と思っていたら激変したんですね。

 

結果論は、私も変わった。両親も変わった。

それは今の段階で言える事。

10年前に想像も期待もしていなかったことです。

10年前は、私は変わりつつある。両親は変わらない。

 

よく、自分が変わると周りも変わる。という言葉を聞きますが、それが法則かどうかは何とも言えないけれど、

変わることもある。というのはこれ以外にも何度か体験しました。

結果的にそうなった。と捉えていますので、法則を見越して(期待して)やった事ではありませんでした。

 

だって、因果関係って見えないところで絶妙な影響をしあっていると思うんですよ。

私Aが変わったら、親Bが変わる。という数式のようなことだけでなく、私Aが変わったらイギリスのXさんが変わる。なんてことも映画のストーリーにもあるように、どこがどこまで影響しあっているのか未知数です。

 

子供の頃はさておき、私の場合は、学べば学ぶほど相手が自分の都合が良いように変わることを期待することが減り、相手は変えられないから自分だけでも生き易くなるように、まず自分の行動変容と認知を変えよう。というように視点が変わりました。

アメブロに私が怒った話を書きましたが、あの時のように、うっかりまた相手が自分の都合が良いように変わることを期待することもあります。が、「いっけなーい。忘れてまたやっちゃった!」と自分のうっかりに気がつくのが早くなったので、それでいいと思っている。

 

ただ、自分が変わった。両親が変わった。という別々の出来事を

自分が変わった=両親が変わった → 自分が変わる と、両親も変わる。という捉え方もできる。

 

認知の仕方によるのかな?

 

正解は分からない。この法則の証明にかける情熱は今の私にはありません。

こんなことは法則としてあるだろう

いつも難しい顔をしていた方が、もう少し笑顔を増やしてみよう。と自分を変えたら、相手も心を開いて周りも変わる。ってことは考えやすいし、その逆もある。

法則に当てはまりやすいケースというのは有ると思う。

 

相手を変えるためにそれをするのなら、既に法則名が変わっていますね。

「相手を変えたいのなら、まず自分が変わろう」と表現する方が混乱が少ないかもね。

相手を変えたい。という目的もいろいろあるでしょうから一概に言えませんが、成功するかしないのか「相手をかえたいために」一度やってみたらかがでしょう?

あなたのその件について法則が正しいのかどうか、なにか結果はでるでしょうから。

それを自己責任で行う事と、検証もできるなら合わせてやってみて欲しいです。

 

法則など知らなくても、既に行われることも多いです。

「相手が自分を好きになるために、俺(私は)〇〇をする」というのもその1つですか?

「好かれるための話し方とかも?」

「愛されるための12ステップ(実際にあるかどうかわかりません)とか?」

 

なんだか話が予想外の拡大をおこしそうなので、ここでやめます。

 

ちなみに私の子供時代の私の期待によるこの試みは実を結ばなかったことは先述しています。

 

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