また書いているのは何故か?

自我がしっかりしていない時に幻覚や神秘体験などのこの手の能力開発ばかりされると、少々厄介なことになる。と書きました。

その「厄介」とは何を指すのか?は私が書くと、初めに書きたかったことがぼやけるほど長くなりそうだし

これはなかなか言葉を選ぶぞ!という思いがあったのですが

またまた、

それじゃあ まだ全体像が書けていないでしょ?(いや、そんなに簡単に書けるものではないと思うけど それでも)と

またまたご指摘を頂いたような気持になる文章に出会いましたので毒を食らわば皿まで 乗り掛かった舟なのでブログを書いていきます。

少々の厄介では済まないかも

なぜ、その厄介を書かないのかと言うと、ここから先ほど「証明などできない領域」だからです。

証明などできないことは今までもありました。

エビデンスのない、

正しくはエビデンスを出せるようなデータを集めることができない、データの分布図を手で書くのは出来ても、その精度を確保できるほどの手段が今の私には無い。

このようなことはある種エビデンス好きな私にはひいき目に考えてオマケしたり、見ないふりなどできない事なので、だから私のエビデンスは「体験」と「クライアントの体験」「変化」ということになります。オーダーメードの心体カウンセリング™ はそれで良い。と思っているところもあるからです。

 

まだまだこの領域のことは、体験というそれでも事実が伴うわけですが、私の書いた「厄介」に分類されることは一種の信仰というようなことと関わっているんですね。

太陽信仰も信仰です。

陰陽論という考え方も発祥は信仰だったと理解しています。

(思想と信仰って明確に分けられないのではないですか?)

 

そういう意味の 信仰のジャンルだと最初に断っておきますね。

 

ですから、原因と結果の法則的には検証が難しいわけです。

 

その部分を大家にお任せします

ですから、その「厄介」の説明の本当に大きな枠組みを心理学の大家にお任せします。

というのも、私はこの本を結構前、最低でも1年 いや2年?は持っていて、張り切って読みだして頓挫、気になって手にとっては頓挫、意地で読もうとして頓挫してきたという本です。それでも他の本なら処分したかもしれないのに、これは手元に残したくて、また読んでは頓挫してました(笑)

ロサンゼルスに1か月いた時に、こんなに読み進められない本ならこの期間を利用して少しでも進もうと計画するもやはり頓挫してた癖に、前回の記事を書いた後、本当に懲りずにまた読み始めたら「読める!」 そして、読み進めていたら「厄介」と書いたことについて書いてありました。

 

もうね、こりゃなんでしょうね?

これは河合隼雄先生のおっしゃった共時性でしよう。

お陰様でご紹介できますが。 これです。

 

 

 明恵 夢を生きる (講談社+α文庫)

全て読んでいただく事にこしたことはないのですが、

私は代3章から途端に世界が広がり、読みやすくなりました。読みづらかった何かの壁が第3章で パッ っと無くなり視界が広がり、脳も広がりました。

そして、私が大先生にお任せしたい内容は主に第5章に書いてあります。P230 「明恵の意識」というところに「ファナティック」という言葉をはじめ、いろいろ書いてありますのでご興味のある方はどうぞ読んでください。

そう、ご紹介したものの、これは「厄介」の全体像を書いてある書籍ではありません。

全体像が私の好ましい文章で書いてある何かを見つけましたらまたご報告します。

自分ではわからない。だから私たちは凡夫なのでしょう。

自我がしっかりしていない時に幻覚や神秘体験などのこの手の能力開発ばかりされると、少々厄介なことになる。

これは地面に書いた白線のように、ここから先は危ないですよ。と簡単に認知できるものではありません。

 

こういった事に厄介なことがあるよ。と私が言ったとしても それをやめる方はどの位いるでしょうか?

自分だけは大丈夫

と思うものです。私たち人間は。

 

それに興味があり、止められたくない時などは特にそう。

やりたいのですから。

 

厄介が分からないからやるのか?という事については、

分からなくても、分かっても、やるものはやる。

 

理由はやりたいから。

 

それに注意をする人や、止めようとする人は真実をわかってない。私は、私だけはわかっている。と思う事が多いです。

止められると自分は正しいという意地も働き余計に進むことも本当に多い。

 

やっぱり経験したいんですよ。

その気持ちは分かります。私も経験したいことをしてきたわけですから。

 

諭した方がやっぱり正しかったという事も経験した事もあります。

 

 

私はこれらのように理解していて、声を大にして厄介について言う事もなく、身を挺して止めることもなく、

そして、止められもしないので

「気がついたら帰ってきてね」と思うようになりました。

 

それでも、一言言う時もあります。

それが直ぐに通じたことはほぼありませんが、その後私の言ったことを理解してもらえた事は多いです。

 

ですから、私は待っていられるように自分も意識をしっかり持っている事が大切なんですね。

「お帰り!」と言えるように。

 

こういったことを書いている私も 一凡夫です。

自分だけは大丈夫と思うわけですよ。

でも、自分だけは大丈夫じゃなかった経験もしてきたわけです。

 

いろいろあって、今思う事は、私は身内・他人の人生の番人ではないという事です。

そして、それに気がついて良かったと思っています。

 

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